【神との対話 要約2】思考と感情
この記事は神との対話の内容を元に私が感じたことが書かれています。
(要約というよりも感想に近いかもしれません)
かなり噛み砕かれた内容になっていますので、気になった方はぜひ本を読んでみてくださいね。
前回の記事では、言葉は本物じゃないよね。経験してこそだよね。 というお話をしました。
今回は感情についてお話していきたいと思います。
感情とは
神とコミュニケーションするために一番よく使われるツールとされています。
思考とは違うけど、同時に生まれることもあるそうです。
感情は魂の言語であり、自分にとっての真実を知りたいと思うのならば、自分がどう感じるかを探れと神は言っています。
私たちも常日頃、感情を用いて神とコミュニケーションしているのかもしれません。
楽しい!とかムカつく!などの感情が生まれている時には、実感が沸かなくとも神に聞こえてると思ってみると面白いですよ。
だって神 = 存在のすべてですから。
壁に神あり障子に神ありです。
感情の生まれ方
感情は言葉からも経験からも生まれます。
言葉から生まれる感情ってネガティブなことが多いと私は思っています。
例えば昨日は 1人で4人介護可能に 政府、生産性向上へ規制緩和検討
こう言った記事をチラっと見かけました。
ここで生まれた思考、感情は
思考
・いや今までも1人で3人見てたんかい 過酷でしょ!
・根本的な解決になってないじゃん!
・政府ってやっぱ○○だな
・人を道具だと思ってるのか!
・寝てる暇があったら現場行ってから言え!
感情
・政府 = ムカつく
・現場 = 可哀想
こんな感じでした。
それって真実ですか?
まず私は介護の現場を知りません。
次に私は政府の実際の様子を知りません。
その上で記事にあるただの言葉の羅列を読んで思考を働かせ、感情を生み出しました。
このままでは介護職の方を見たら勝手に憐れみ、国会議員がいたら罵詈雑言を投げかける厄介おじさんができあがってしまうに違いありません。
私から「記事読んだんだけどさ、ほんとムカつくんだけど?」とかネガティブな感情で話しかけられたら神はどう思うでしょうか?
「おやおや、仕方のない子だ。そんなもん読むからじゃねーの?」
こうして一蹴される気がします。
というか実際「読むなよ」って結論が改めて湧いてきたので、もしかしたら私も知らぬ間に神と話していたのかもしれない。
聖書ですら嘘?
ここからのお話は、ニールが神に対して「神についての真実」を尋ねた時の一節です。
わたしが教えられた神についての真実は、あなたからきたものでしょう?
誰がそう言ったのか?
ほかのひとたちが。
ほかのひとたちとは?
指導者たち。聖職者たち。ラビたち。僧侶たち。本。それに聖書、そうだ、聖書です!
それは権威のある根拠ではない。
それでは、何が権威ある根拠なのですか?
自分の感情に耳をすますことだ。自分の最高の考えに耳を傾けなさい。自分の経験に耳を傾けなさい。
そのどれかが、教師に教えられたことや本で読んだことと違っていたら、言葉のほうを忘れなさい。
言葉は真実の伝達手段として、いちばんあてにならない。
神との対話1 p30
聖書だって根拠にはならないんですね。
じゃあ記事なんて落書きみたいなもんですね。私の記事も言ってしまえば落書きなわけです。
どうせなら経験からの感情を投げかけたい
ニュースはそのほとんどが、自分が知らないところで知らないうちに起きたことを伝えてくる単なる言葉です。
ニュースを見て嫌な気分になった ってあなたも一度は経験あると思います。
その経験は言葉から来ているものなので、本物ではありません。
実際に自分が経験したことから生まれる思考や感情こそが本物なのでしょう。
本当は物事にポジティブもネガティブもない(本書の中ほどで出てきます)んですが、どうせならいい気分で日常を過ごしたいですよね。
どうせ神とコミュニケーションを取るなら、偽りのない本音で腹割って話しましょう。
↓神との対話1を全体的に紹介している記事はこちら
次回は引き寄せの法則についてのお話です。
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