【神との対話 要約3】神が言う『引き寄せの法則』の方法(前編)
この記事は神との対話の内容を元に私が感じたことが書かれています。
(要約というよりも感想に近いかもしれません)
かなり噛み砕かれた内容になっていますので、気になった方はぜひ本を読んでみてくださいね。
今回は30ページから、ニールが神に「本当の姿を(物理的に)現して欲しい」とお願いした部分です。
読んでいる内に、あれ?これって引き寄せの法則のことを言ってるんじゃ?って思いました。
(引き寄せの法則については今後記事にします)
目次
なぜ神は見えないのか?
神にはかたちも姿もありません。
どんなかたちにも姿にもなることができますが、そうするとその姿を見た者はそれが神の唯一の姿だと思いこんでしまいます。
人は「見えないもの」ではなく、見たものを神だと信じるからです。
神は偉大なる「見えざるもの」であり、ある瞬間のかたちや姿ではないのです。
例えば1人目には
こんな姿で現れた(こんな風に見えた)とします。
続いて2人目には
こんな姿で現れた(こんな風に見えた)とします。
当然「私が見たほうが本物の神だ!」という論争が始まりますね。
神にかたちや姿はないため、もし見えたという人がいても個人個人で違うものになります。
というより、ならざるを得ません。りんごだって人によっては赤い梨になってしまいますから。
どのようなかたちで現れようとも、疑いの余地がなくなることはないのです。
疑いようのない真実を見せてくれればいいじゃない
ニールは問います。
「あなたが疑いも問いもさしはさめない方法で、真実の自分を証す何かをしてくれたら・・・。」
神は答えます。
それでもなお、それは悪のしわざだ、あるいはただの想像力の産物だと言う者がいるだろう。
わたしではない者が引き起こした現象だと言うに違いない。
神として姿を現し、山を動かしてみせても、「悪魔に違いない」と言う者がきっといるだろう。
それもそのはずだ。
神は外からわかるかたちで、あるいは外界の現象を通じて出現するのではなく、そのひとの内的体験を通じて姿を現すのだから。内的体験を通じて現れるなら、外から見える姿は必要ない。
外から見える姿が必要だというなら、内的体験は不可能だ。
神との対話1 p33
内的体験…つまりどういうこと?
私は人の数だけ(それ以上に無数に)神がいると捉えています。
例えば全世界の人々が一度に確認できるほどのデカさで
こんな姿で神が現れて、「我こそが神だぞ!」って言いながら富士山を埼玉県までぶっ飛ばしたとします。
この人への反応は千差万別ですよね。
超能力者だ!とかjapanese people!?とか悪の化身だ!とか埼玉に世界遺産が!?とか。
神だ…本物の神だ!絶対そうだ!とはなりませんよね。
また、現実世界に神が現れて圧倒的なパワーを使わない限り奇跡は起きないと信じきっているなら、
自分の内面にいる神のことは信じていないということになりますので、いつまでも起きない奇跡、いつまでも変わらない現実にやきもきすることでしょう。
神が現れてくれれば万事上手くいくのに~って言って自分をないがしろにしてたら何もなりませんよね。
現実ですごいことが起きれば!
現実で神がなんとかしてくれるまで私はどうしようもない!
現実!変われ!何かが起きて現実が変わったら自分も変われるんだ!
…自分が変わったほうが早そうですよね?
『外から見える姿が必要なら』(現実の変化を先に求めるなら)
『内的体験は不可能』(自分を省みることができない)
そういうことだと考えています。
で、何が引き寄せの法則と関係あるの?
p33~34でさらに興味深いことを言っています。
さらに、啓示が要求されるなら、啓示は不可能である。
求めるのは、そこにないからであり、啓示を求めるのは、神が見えないということだから。
神が見えないと言えば、神は見えてこない。
(中略)
神が啓示されていれば、神の啓示を求めるはずはないから。
神との対話1 p.33~34
引き寄せの法則を使いこなしたい方はこれに似たフレーズを何度も目にしていることでしょう。
「願望実現を望んでいれば、願望実現を望んでいる自分になる」
欲しいものを「欲しい!引き寄せよう!」とすると欲しいものを欲しがっている自分になれます。
ほら、叶ってるじゃないですか。おめでとうございます!
というのが引き寄せ界隈のお決まりですよね。
上記の引用では同じことを言っていますね。「神よ、現れたまえ、救いたまえ」って言って願っていても、神は出てこないし救いを求めるような状況が現実になります。
じゃあどうすれば引き寄せられるの?
ニールは問います。
「それでは、欲しいものを求めることはできないのですか?何かを祈るということは、じつはそれを遠ざけることになるのですか?」
神は答えます。
あなたは求めるものを手に入れられないし、欲するものを得ることもできない。
求めるというのは、自分にはないと言いきることであり、欲すると言えば、まさに欲することを現実に体験することになる。
したがって、正しい祈りとは、求めたりすがったりすることでは決してなく、感謝である。
まとめ
感謝。引き寄せ界隈の方ならもうわかるでしょう。これは既にあるですね。
長くなってしまうので感謝ってどういうことなの!っていうのは次回に続きます。
・神は見えるようなもんじゃないよ
・神はあなたの内面にいるよ
・求めてることは叶わないよ、求めるんじゃなくて感謝してね
というお話でした。
省略されていない本当の内容が気になる方はぜひ読んでみてくださいね。
後編記事ができました。こちらからどうぞ!
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