【精神病】脳が勝手に作った物語を信じることなかれ
ごきげんよう。パニック障害や会食恐怖や社会不安障害や、なんかそんな数多の病を抱えていたまじなさん(@majilog147)です。
鈴木祐さんの著書『無(最高の状態)』にとても興味深い話が書かれていたので、感じたことを共有します。
見出しの抜粋になりますが、
『私たちは脳が作り出したシミュレーション世界を生きている(p.75)』
『自己は物語で構成されている(p.81)』
このあたりが 精神をボコボコに病んだことがある人間 としてはハッとさせられる内容でありました。
『脳が作り出したシミュレーション世界を生きている』とはどういうことなのか、会食恐怖やパニック障害を持っていた人間の視点から見てみましょう。
私たちはどのように"世界"を体験するのか?
旧来の考え方
これまで私たちがどのように現実を捉えているのかというと
- 周囲の状況を五感で察知し、感覚器官が受け取る
- 受け取った情報が脳に送られる
- 脳が処理し、反応を決定する
というステップを踏んでいると考えられていました。
火に触ったら熱いですよね。
氷に触ったら冷たい。
皮膚からの情報を脳がキャッチして即座に反応しています。
このように 自分を取り巻く事実をキャッチして、どう対処するかを脳が瞬時に決定している という考え方がこれまでのスタンダードでした。
ただしこれだと例えば「時速200km近いテニスのサーブをどう打ち返すんだい?」という話になってきます。
目で時速200kmのボールを確認 → 脳が落下地点を計算→ 全身の筋肉に対して計算通り動くよう指令を出し → 打ち返す。
こんな高度な仕事を2時間にも及ぶテニスの試合中ずっとおこなっていたら脳が焼き切れることは必定。
そこで昨今の神経科学での新しい考え方、 まず脳が物語を作り、事実との比較をおこなう です。
新しい考え方
- 周囲の状況がどう変化するか、脳が物語を作る(シミュレートする)
- 作った物語と実際の周囲の状況との差を比較する
- 物語が間違っていたところだけ修正して現実を作る
先ほどのテニスの例で言えば
- 相手のラケットの向きからして自分の右にくるだろう
- 振りかぶり方からして前回より遅めの球がくるだろう
- 相手はスライスサーブが好きみたいだから多分またスライスだろう
- スライスがかかったボールは大体こう変化するだろう
- 結果としてこのあたりにフォアハンドを振れば打ち返せるだろう
こういった無数のシミュレーションを相手のトスアップ中に既に実行しているという考え方ですね。
そして脳が作った物語通りに事が進めばそのまま現実とするし、物語と違う部分があれば そこだけ 修正します。
サーブが右に来ると思っていたけど左に来たとします。これは事前に作った物語との相違点です。修正します。
しかし打ち返し方がフォアハンドからバックハンドになっただけで"打ち返す"という行動は変わりません。
修正点以外は事前に作った物語の通りなので、物語をベースに相違点だけ変更して対応します。
このように我々は 人生の大半を事前に作った物語をベースにして生きてきた ということが言えます。
テニスに限らず四六時中 常に脳は物語を作り続けています。
「そんなのただの予想やんけ」と思われるでしょうが、その通りです。
しかしこの予想。場合によっては 非常に厄介 です。
厄介どころか 半ば強制的にあなたという人物そのものを決定づけてきます。
確かに仕事中や車の運転中などの場面ならば様々なパターンを予想しておくことはリスク回避の観点から大切でしょう。
ですが何気ない普段の生活の中で物語を作り続けるとどうなるでしょうか?
精神的に病みがちな人の思考
例をずらっと並べましょうか。
- 私は特に職歴も能力もないからもうまともに働けないだろう → だから引きこもろう
- 私はパニック障害だから電車に乗ったら発作が起きるだろう → だから引きこもろう
- 車に乗ったら車酔いしそうだし、すぐにトイレにもいけない → だから引きこもろう
- 私は会食恐怖持ちだから今回も食べられないだろう → だから会食は避けよう
- あの上司は顔が怖いから理不尽に怒ってくるだろう → だからこの人は避けよう
- 友人に無視された。多分私に対して何かムカついてるんだろう → だから私も無視しよう
- タバコをやめたら禁断症状で苦しむだろう → だから禁煙は今度にしよう
- アルコールを飲まないと人生楽しめないだろう → だからとにかく飲んでつらいことは忘れよう
- 政治腐敗、少子高齢化により今後この国でまともに生きていくことはできないだろう → だから生きていても苦しいだけだ
全部私が一度は考えた物語です。ものによっては常に考えていました。
そしてここで作った物語が事実になるように、物語に沿った主人公として生きてきました。
電車に乗ってもなんともないかもしれない。
アルコールなんてなくても楽しめるかもしれない。
でも、物語が正しい気がする。チャレンジしてもきっとつらいだけだろう。(←これも物語)
つらいだろうからなにもせず引きこもろう。つらいことは酒で忘れよう。(←物語を受けての行動)
脳が勝手に作った物語を採用し続けていては人生は変わらないことがわかりますね。
楽しい物語は書けないものか?
以前書いた ネガティビティバイアスとは何者か?そしてなぜ存在するのか? の記事にもある通り、私たち人間は物事をとにかくネガティブに捉える性質があります。これは仕方ない。本能だから。
そして積もり積もったネガティブな思考が信念となり、脳は悲劇の執筆能力をどんどん上げていきます。
精神を病んだ人の想像力と執筆能力は 一般人のそれとは比べ物になりません。
「メンタルが弱いから病んだんじゃないの?」と言う人もいます。
断じて違います。メンタルの強弱なんてものは関係ありません。感受性がとんでもなく鋭いんです。
自分を苦しめるような悲劇を脳が勝手に作り続け、悲劇を真実とし、その影響で殻に閉じこもり、閉じこもっているうちに時間が過ぎ、悲劇はどんどん苛烈なものとなっていく。
人によっては自らクライマックスを迎えてしまうこともあるでしょう。
普通に生きてきた人には決してわからない感覚です。
どこかで断ち切る必要がありますね。
そのための数々の方法が鈴木祐さんの無(最高の状態)という本にはまとめてあります。
「精神的にしんどいけど、スピリチュアルは怪しいから嫌。科学的裏付けが取られている情報で楽になれないかしら?」
という現実的で聡明なあなたにとてもオススメの良著です。
ちなみに私独自の悲劇を断ち切る方法は 瞑想 と 感謝 です。
ネガティブな思考がネガティブな思考を呼び続ける。
ならば 瞑想 で一度元を絶つ。無思考ならばネガティブは生まれない。
1分でもいいから何も考えていない瞬間が生まれれば一旦脳内の悲しい物語がリセットされて行動力や意志力を取り戻せます。
何も考えていない瞬間にポジティブなものが目に入ればこちらのものです。
ポジティブを見るための力、それが 感謝。
私のように苦しんでいるあなたが悲しい物語から目覚めますように。
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